退職した美容師の競業避止義務違反を認め、6万円の賠償を命じた事例―東京地裁令和7年3月26日判決(判例時報2634号49頁)


弁護士 馬場 陽[*]

(事案の概要)

 Xは、東京都渋谷区で美容院Aを運営・管理していたほか、第三者の委託を受けて、渋谷区内で美容院Bを運営・管理していました。Y1は、令和2年4月1日から令和4年3月31日までXに勤務した美容師であり、主にAで美容師として勤務していましたが、Bの応援に行くこともあったと認定されています。

 Y2は、令和2年4月1日から令和4年3月31日まで、Xの委託を受けてBで美容師として勤務しつつBの運営・管理を行っていましたが、同年4月1日からはBの代表兼ディレクターとしてBを運営・管理していました。

 Xの就業規則には、「退職後は原則として1年以内に、本店の所在する都道府県内において、同業他社へ就職、役員の就任ならびに同業の自営を行わないように心がけなければなりません。」「会社は、退職する社員と、退職後において同業退社への就職、役員の就任ならびに同業の自営をおこなわない旨の合意を締結する場合があります。」と記載されていました。

 Y1は、就職直後である令和2年4月9日、Xに対し、「退職後原則として1年間は、本店や支店が所在する都道府県内において、貴社と競業関係に立つ他社への転職、役員への就任、及び事業を自ら開業または設立する行為を行いません」と記載された誓約書を提出しており、退職直前である令和4年3月26日ころにも、ほとんど同一文言の条項が含まれる退職時合意書に署名しています。

 Y1は、Xを退職した翌日である令和4年4月1日からBで美容師として勤務しました。

 そこで、Xは、Y1に対し、競業禁止義務違反による損害賠償として788万5031円、Y2に対し、業務委託契約上の義務違反(引き抜き)による損害賠償として2408万6646円を請求しました(遅延損害金の請求については省略します)。

(判決の要旨)

 裁判所は、以下のように述べて、Y1に対する請求の一部を認容しました。なお、Xの損害は6万円と認定されています。

 「美容師が退職時に原告の顧客情報等を使用して顧客を転職先の店舗に移すことによって原告の利益が害されることを防ぐためには、近接する場所での競業を禁止するのは合理的な方法であるといえる。また、前記の競業避止義務の範囲は、退職後1年間、東京都内(原告に支店があるとは認められない。)に限定されているから、退職後に美容師として就労することができなくなるわけではなく、前記の目的に照らして合理的なものといえる。そうすると、代償措置がないことを考慮しても、被告Y1の退職後の競業避止義務に関する各規定が公序良俗に反するとはいえない」。「……競業避止義務を適用しないことが業界の商慣習となっていたとは認められない。また、被告Y1は退職直後に原告店舗と極めて近接した場所にある美容院で勤務を始めているのであって、これは原告が特に禁止しようとした競業の態様であるといえるから、原告が他の退職した美容師らに対しては競業避止義務違反を主張していないからといって、被告Y1を狙い撃ちしたとはいえない。したがって、原告が被告Y1の競業避止義務違反を主張することが信義則に反するとはいえない」。

 「……被告Y1は、令和4年3月31日に原告を退職した後、同年4月からBで美容師として勤務している。そして、原告店舗とBは、極めて近接した場所にある美容院であり、両者は競業関係にあると認められる」。

 「……退職した美容師を指名していた顧客は、必ずしも当該店舗に通い続けるわけではなく、その美容師が業をしていなくても他の店舗に行くことも多いと考えられるから、逸失利益の検討に当たっては、このことを考慮する必要がある」。

 「…令和4年3月に原告店舗で被告Y1を指名した顧客(新規を除く。)が135人であり、そのうち131人がその後は原告店舗に来店していないこと(再来失客率は97%であること)が認められる。他方で、証拠く略>によれば、原告を退職して競業をしていない美容師3名の再来失客率は、それぞれ、88.2%(再来客数34人、再来失客数30人)、66.7%(再来客数30人、再来客数20人)、60%(来客数5人、再来失客数3人)であると認められ、このことからすれば、原告店舗の美容師が退職した場合には、競業をしていなくても、概ね90%の顧客が原告店舗に来店しなくなることもあり得るものと認められる。そうすると、被告Y1が競業をしたために原告店舗に来店しなくなった顧客の数は約10人(=135人✕(97%-90%)であると認められる)。

 「……令和4年3月に原告店舗で被告Y1を指名した顧客一人当たりの売上は6586円であると認められる。これに対応する支出として売上の約1割(支出に関する証拠はないが、美容院においては店舗の営業に係る固定費が多いと考えられるから、顧客の減少により免れた支出を売上の約1割と認める。)を控除すると、顧客一人当たりの単価は6000円となる」。

  「……以上のことからすれば、顧客の減少による逸失利益は、6万円(=6000円✕10人)であると認められる」。

 なお、Y2に対する請求については、Y2が引抜行為をした事実が認められないとして、請求が棄却されています。

(解説)

 退職者の競業を禁止する合意の効力については、それが退職者の職業選択の自由にもかかわることから、制限的に解するのが裁判例の傾向であるといえます。本判決は、Y1が負う競業避止義務の範囲が「退職後1年間、東京都内」に限定されていることから、顧客流出の防止という目的に照らして合理的であり、代償措置を講じなくとも公序良俗に反するとはいえないと判断しています。

 最近の事例として、①学習塾の元従業員の営業行為について、同一都道府県内及び退職時の勤務地から半径10km以内の場所において退職の日から1年間、会社と同種の営業に従事することを禁止する旨の就業規則の規定を根拠として差止めを認めた判決があります(東京地判令和5年2月2日D1-Law)。そこでは、退職後の競業避止義務が課されても不合理とはいえない程度の高待遇が認められるのであれば、明示された代償措置がないとしても一定の代償を得ているものと評価することができると述べられています。一方、②システムエンジニア派遣・紹介会社の元従業員が、「退職後1年間にわたり、貴社と取引、及び競合関係にある事業者、貴社のお客先に関係ある事業者に就職する場合に、3か月分給与(最後の3カ月の平均額を月額の基準とする)の賠償金を賠償することを誓約いたします。」と記載された退職時秘密保持誓約書を提出していた事案で、裁判所は、元従業員の競業避止義務を否定しています(東京地判令和4年5月13日労働判例1278号20頁)。そこでは、「原告の本件合意書により達しようとする目的は明らかではないことに比して、被告が禁じられる転職等の範囲は広範であり、その代償措置も講じられていないことからすると、競業禁止義務の期間が1年間にとどまることを考慮しても、本件合意書に基づく合意は、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合に当たるものとして公序良俗に反し、無効であるといわざるを得ない。」とされています。

 本件は、競業避止義務を負う時間的範囲および地理的範囲が明確であったという点で、上記①に近い事案であったといえます。加えて、本件で、Y1は、退職に当たり、改めて競業避止義務を定める合意書に署名しており、この点でも競業避止義務を肯定することに傾きやすい事案であったといえます。さらに、本判決は、退職後1年間、東京都内での競業を禁止する旨の合意を有効としていますが、実際の適用に当たっては、競業店舗がAと同じ渋谷区内にあり、「極めて近接した場所」にあったということも積極に作用したものと推測されます。

 本判決は、競業避止義務違反による損害について、Y1の退職月にY1を指名した顧客の人数が135名であり、このうち、Y1の退職後Aに再来店しなかった顧客の数が131名であること(再来失客率が97%であること)を認定した上で、美容師が退職した場合の再来失客率が競業の有無にかかわらず相当高率であることを踏まえ、競業の有無にかかわらず90%の顧客は再来店しないことがあり得るとして、残り7%(約10名分)に単価(6000円)をかけた6万円をY1の競業によるXの損害としました。

 競業避止義務違反による損害の具体的算定例として、実務上参考になるものと思われます。

(2026年8月23日)

2026年8月23日現在の法令に基づく解説です。


[*] 大津町法律事務所(愛知県弁護士会所属)

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2026/08/23 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 弁護士馬場陽